私が自分の容姿にどうしても自信が持てなかった理由とは?
こんにちは!井上ききです。
【笑み育カウンセラー養成講座】ではときどきレクを開催しています。なにかしらお楽しみ企画を誰かが持ち込む感じで。
今回はフォトグラファーの東優子さんによるフォトセッションでした。ありのままの自分を愛するワークをおこなった後で撮影をする。
どんな奇跡が起こるかわかるよね。自分の美しさが存分に引き出された1枚が生まれる。それだけじゃなく、自分の美しさを受け取ることができちゃう。
最近、その「美しさ」についてはオンライン講座でもテーマにしました。
【わたしは美しくないという思い込みに向き合う】
オンライン講座についての詳細はこちらから。
↓ ↓
女性は自分のことを「美しい」と思えなければセルフイメージが上がらないと言われています。そして、そもそも女性であるというだけで美しいんだという言葉も聞いたことがあります。
でも、実際は自分を美しいと思っている女性って少ないです。わたしもね、最近ようやく、「わたしは美しいところもある」くらいに受け取ることができるようになったの(笑)
私たちが自分を美しいって思えないのには、きっと理由があると思って、最近ずっと考えていたんだけどね。
そもそも、世の中の「美しさ」の定義がこんな感じじゃん?
↓ ↓
「整っていること」
「バランスが取れてること」
「調和が取れてること」
「新しいこと」
みたいな。
それでね、私が自分の美しさを微塵も認めることができなかったころ、私はこの定義での美しさをみんなから期待されてるんだと思い込んでたの。
なんで勝手に「期待されてる」って思っちゃうのかというとね、「最近キレイになったね」とか言ってくれる人がいるからだと思うの。それだけじゃなく「最近太った?」って言われたりもするじゃん?そのせいで、みんなは私が美しくあることを期待してるんだろう…って勘違いしちゃうってことなんじゃないかと思うの。
そして、自分はその期待に応えられていないかも・・・わたしはぜんぜん美しくないわー・・・という判断をしてた。
そして、もっと頑張ってみんな(←そもそもこのみんなって誰?って話だ)の期待に応えなくちゃっていう謎の想いから、流行りのお洋服を買ったし、せっせとお化粧や毛染めをしていた。
ちょっと若く見えるようにしなくちゃとかも、なんかそれが「期待に応える」ってことだった。
意味わかる?共感してくれる人、いるのかな…私だけだろうか?
つまり、私が美しくある目的は、みんなの期待に応えるためだった。そして、勝手にみんなの期待に応えられていないと思ってたし、そんな自分を恥ずかしく思ってた。
この「期待に応えなくちゃ!!!」という焦りは、実は容姿だけじゃなくて、いろんなことに発動しちゃってて、苦しかったんだけどね。
でもさ、わたし気づいたのよ。私が整っていようといまいと、年齢より若く見えても上に見えても、みんなにとって、それほど重要なことじゃないと。そもそも、みんなってのも誰なのかもわからない(笑)
もしかすると夫や息子たちくらいは、わたしの若さとかに多少の期待はあるのかもしれないが、もしもその期待に応えられていなくても、わたしは見捨てられたり嫌われたりはしない。
そうすると、わたしはただただ自分自身のために美しくあればいいんだとわかったの。これが、私が自分の容姿コンプレックスを乗り越えた瞬間だったなって思います。
そしてさらにね、今日のフォトセッションで学んだことがあるの。それはね「美しい」とは「愛おしい」ってことなんだって。
笑み育のみんなが美しいと心から思えたし、同時に愛おしかった。そして、自分のことを愛おしいと思えたときに、自分を美しいと思えたんだよね。
まずは自分を許して愛してね。あなたはその自分自身のためだけに美しくあればいい。
写真ができあがるのが楽しみです。みんなも楽しみにしててね。