「人は人、自分は自分」を生きるその前にやるべきこととは?
こんにちは!井上ききです。
よく耳にする「自分は自分でいいんだよ」というアドバイス。
「人は人、自分は自分」という考えって、確かに本当に大切だし、これがほとんどの悩みを解決する。
でもね、”その「自分」ってやつが一番当てにならないんだよ!”って感じている方が多いのです。
自分の生き方が心配でしょうがない、自分の考えなんてろくでもないって。
この記事では、どうすれば「本当の自分」とか「自分の生き方」を見つけ、そして自信を持って貫くことができるのか、について解説します。
私たちはなぜ自分を生きられないのか?
先日、作家で僧侶の草薙龍瞬さんのポッドキャストを聴いてたんだけど、ブッダの最後の言葉として、こんな言葉あるそうだ。
「この世の中でみずからを拠り所として、他人を拠り所とせず。自分にとっての真実を正しい生き方として、他のものを拠り所としないように」
ブッダも、自分を生きろと言っているのだ。
しかしなぜ、わたしたちは自分の生き方とか、自分の真実を持っていないのか?
その答えは、ことごとく「否定」されて来たから。ことごとく「ダメ出し」されて来たから。
誰に?
それはまず最初に親に否定されてダメ出しされることから始まる。そして、そのうちに学校などの家の外にいる人にもダメだしされる。
そして、大人になると自分自身が自分を最もダメだしする人になる。
こうして私たちは自分の生き方や自分の考え、真実を失ってしまう。
本当の自分とは?
でも、かならずみんな生まれたときは、自分の生き方や在り方、「わたしらしさ」を持っている。
みんなすっかり忘れてしまっているけれど。
ある講座で、生まれてくる前に自分の魂が持ってきたビジョンに気づくワークがあった。
なんだその怪しすぎる講座はって思われるかもだけど、宗教ではなく心理学の講座での話です。
あなたは何を誓ってこの世に生まれてきましたか?という自分のビジョンを思い出す瞑想だったと思うんだけど、私はその瞑想の中で、大きな樹に実る熟した果実だったの。
たくさんの実が成っていた中の一つが私で、その実はもう完熟で今にも私は樹から落ちて生まれ出てきそうな状態だったの。
そしてその光景を瞑想中に観ていて私が感じていたのが、「わたしは愛と勇気の塊だった。愛と勇気そのものだった」。
「わたしらしさ」の代わりに手に入れたモノとは?
しかし実際には、わたしは罪悪感にまみれた怖がりな母親に育てられ、理不尽に責められることや、とつぜん何の前触れもなく怒鳴られることがあった。
わたしももちろん、罪悪感や劣等感にまみれ育っていったし、母親の期待に応えなければならない人生を生きることになる。
愛と勇気をときどき使おうとするけれど、母は私の愛を受け取らないし、勇気は使い方すらわからなかった。
わたしが生きたかった生き方というよりも、母に責められない生き方、母に見捨てられないための生き方、そしてできるだけ傷つかない生き方を選択する。
それが「クールで優等生のわたし」だったの。
どうせ受け取ってもらえないから愛さない。自分のことは自分でする。生徒会に立候補し(勇気はココで使ってたのかも笑)、認めてもらうために正しいことを集めて、正しいことを言える人になろうとする。
他者からの承認ばかりを求めて生きることになるけれど、人間関係は長続きしないし、一人でがんばることしか選択できないから、いつも孤独で満たされない。
所詮、一人でがんばっても大した成果は上がらないし、正しさばかりを追い求めているから、楽しくはない。
子育てもこの「正しさ」を求めていて、ネットの情報に振り回されながら、「いいお母さん」「正しいお母さん」を求めて苦しくなっていた。
自分を取り戻す方法
「本当の自分とは?」とか、「自分の生き方とは?」を考える前に、私たちにはやらなくちゃいけないことがあるの。
それは何かというと、ずっと生きて来た自分ではない自分を発見すること。
私で言うところの「クールで優等生なわたし」だ。
嫌われないための、責められないための、認められるための、いい子と思われるために作り上げた自分を知ること。
しかも、なぜこのような生き方を選択して来たのかに気づいて、もうそれは必要ないのだ、と気づく必要がある。
わたしが【笑み育カウンセリング】や【エミークコーチング】でやっている作業がまさにこれなんです。
インナーチャイルドに、もうその生き方は手放しても大丈夫だとわかってもらうこと。
そうやって過去の体験によって、握ってしまった生きにくい生き方を手放して、初めて「自分」が見えてくる。
何枚も着こんだ鎧(ヨロイ)を脱いで、ピカピカの本当の自分に出会う。
何者になるか?よりも大切なこと
私の運営している【エミークコーチ養成講座】では、半年かけて過去に握った不要な生き方を手放して、最後の講座で、自分の本当の在り方を言語化する。
「在り方」っていうのは、いついかなるときも、その自分で生きるというもの。
仕事をしているときも、妻としてもお母さんとしても、そして娘としても、近所のコンビニでも。
いつでもその在り方で生きる。そうすると上手くいくとかそういうことじゃなく、その在り方で生きてる限り、上手く言っても行かなくても、自分に〇を付けられる。
7月6日に最後の講座を終えた【エミークコーチ養成講座1期】の受講生さんも、みんな素晴らしい自分だけの在り方を言葉にしました。
子どものころから、私たちは「将来なにになりたいの?」って聞かれることはあっても「あなたはどう在りたいの?」って問われることはないです。
不思議なほどないです笑
でも、この在り方こそ生きる上で本当に大事なもの。
何になっても、ならなくても。
どんな場所にいても、どんな仕事についても。
あなたが本当の自分でいるときが、最もあなたが輝いているときなのです。
そして、この「在り方」を自分の一本の軸にして生きてみると、初めて「自分は自分でいいんだ」という言葉の意味がわかるのです。
人と比べる必要もないし、人に合わせる必要もないのです。