映画『ありがとう、トニ・エルドマン』で父親との心の溝を修復する
こんにちは!井上ききです。
深夜に思わず観てしまった162分間のなっがい映画。
長いんだけど、ずっと泣いて笑って、そしてドン引きしていられるので、それほど長さは感じなかったかな。
もしも、この記事を読んでいる方が誰かの娘であって、しかもお父さんとの関係がなんかしっくりしてないとか、そもそも私は愛されなかったとか思っているなら、この映画はあなたのためのモノですよ。
お父さんに会いに行きたくなるはずです。
キャリアウーマンで仕事ばかりしている娘が本当に幸せに生きているのか心配した父親が、様々な奇行を繰り返しながら、娘のもとに現れる。
娘はそのとんでもないことをする父親に振り回されるんだけど、娘もウザいとは感じているものの、そんな父親を放っとけない。
この映画の中には、いくつかのメッセージが含まれていて、ひとつは「全部、愛だよ」ってことだ。
お父さんがどんな人だったとしても、とても愛情表現だとは思えないとんでもない行動や言動でも、それは不器用なお父さんの愛情表現なんだってこと。
愛情表現ってときにとてつもなく分かりにくいし、受け取りにくいもの。
それと、この映画のサブテーマとして「合理化」vs「無駄」みたいなのもある。
合理的に生きようと思って、無駄なことを極力省いて生きようとしちゃう現代人に、無駄なことがいかに美しく、かけがえのないものかを伝えてる。
今をもっと楽しまなくちゃ。時間は巻き戻せないよって。
実は、仕事ばっかりしちゃう、いわゆるワーカホリックつまりお仕事依存症みたいな状態になるのは、罪悪感が根っこにあるからなの。
自分という存在がそもそも迷惑なものである、という大前提を持ってしまっているから、そのマイナスを補うために、過剰に役に立とうとするし成果を出そうとする。
そうなってくると、なにも生み出さず、ただ遊んでるなんてことは、とてつもなくハードルが高いことに感じるはず。
私自身も“仕事が趣味です族”だったから、今でもどこに向かってるという訳でもなく仕事の沼にハマってることがある。
こんなときは少々強制的に自分をドライブに連れ出すようにしてる。ほら、ドライブって時間と燃料の無駄遣いじゃん?
成果を生み出さない時間や、誰の役にも立たない自分を全力で楽しまなくちゃ。
わたしも最近、根を詰めすぎているので、少し休もうと思います(割と休んでないか笑)