「夫が●●してくれない」から解放されて自由に生きる方法とは?
こんにちは!井上ききです。
誰かの言動に傷ついて、クヨクヨしてるときって「ひどい!」とか思ってるけど、本当はほぼ自損事故だからね。くれぐれも気をつけてね。
本題の前にお知らせです。10/24にランチ付きのセミナーします!気軽に遊びに来てね。あなたに会いたいです(*´з`)
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さてさて、ここから本題です。わたしが悲しくて打ちひしがれてた件について言わせておくれ。
先週の日曜日にね、私は夫がゴルフに行く予定にしてるのぜんぜん知らなかったのよ。確かに、カレンダーには書いてあったけれども、言ってくれないからさ。
その日曜日のことなんだけど、わたしはおおむね土日は仕事だから、その日もいつもの通りお昼前にでかけたの。子どもたちに「お父さんはきっと畑に行ってるんだろうから、お昼に帰ってくるよ」って言い残して。
ところが「お父さん帰ってこないよ」って息子からLINEが入って、「昼ご飯なにを食べたらいい?」なんて言って来る。まあ、帰ってくるわけないよね、ゴルフだもの。近所の畑じゃなくて遠くの山へ芝を刈りに行ってるだもの。
でも、うちの子たちはたくましいから、そんなときには家にあるものにアツアツのお湯をかけたり、カチカチの何かをレンチンしたりして幸せに生きてるんだけれどね。
私をイラつかせたこととは?
問題は子どもじゃなくってね、
わたしは兼ねてから夫に言ってるの。口を酸っぱくして言ってる。「カレンダーに書いておくだけじゃなくて、言ってね」って。
もうね、本当のところ「お口がないのかしら・・・?」なんてイヤミのひとつも言いたい心境になることもある。それくらい繰り返し繰り返し伝えてる。
にもかかわらずね、夫はひとつも変わらないの。結婚してから18年間ね。
18年もの間変わらないことを、「こんなにも言っているのになんであなたはわかってくれないの!?」なんて傷ついて、打ちひしがれていたりするのって、井上はヒマなのか?って思ったでしょ?
これね、まさにわたしがヒマなんだわ(笑)
わたしたちを苦しめる「期待」とは?
いつまでも変わらない相手に懲りずに「期待」をしているの。この「期待」がね、なかなかの破壊力を持つの。私たちはあらゆる相手に期待をする。あらゆる何かに期待をする。
そう、もっと言えば、勝手に期待をするのだよ。「●●してくれるに違いない」とか「変わってくれる、気づいてくれる、改めてくれるに違いない!」なんてね。
でも、うちの夫はね何度同じことを言われても変わらない。これってね、夫にしてみれば「今度の日曜日はゴルフで一日中不在だから」っていうホウレンソウがね、めっちゃ言いにくいことなのね。
彼は遊びにいくことは悪いことだと思っているの。だから罪悪感が強すぎて言えないのね。わたしはぜんぜん言っちゃえることでも、夫にとってはそれはすごく怖いことなんだよね。
これはトラウマが絡んでるから、かんたんには変われない。これを変えようとするのって労力の無駄遣いなのよ。カウンセラーのわたしだって無理なの。なぜなら本人に変わる意志がないのだから。
本人は日曜日の不在についてちゃんとカレンダーに書いているのだから、まあまあだろ?この辺りで手を打ってくれって思ってるの。だから、今回の件で大問題だと思っているのは私だけってこと。
「期待」はどうしたらいいの?
そんなことに力を注ぐなら、まさに注ぐべき力はそこじゃなくてね、「期待」を手放す方に使うべきです。
もうね、すっかりすっきり完全に完璧に諦めるということ。
つまり、夫はゴルフだろうが宇宙旅行だろうが、私には言わないと受け入れるということです。ある日、そっとカレンダーに「宇宙旅行」って書いてあって、月からポストカードが届いてわかるってのもアリなのです。
もう少し別の例を出すとね。たとえば、夫が今度こそ自分の気持ちに共感してくれるだろうなんて思うのは完全に手放すべきってこと。
「今日のPTAの仕事、めっちゃ大変だった~~~」とかわざわざ旦那に話して「そりゃ、仕方がないだろ。それをみんなやってるんだから」とか言われたりするじゃん?
そうすると、めっちゃモヤモヤする。もう話すんじゃなかった・・・とか思うでしょ。二度と口をきくものかくらいにね。
でもさ、2週間後くらいにまたやっちゃうでしょ?今度こそ共感してもらえるかも、「わかる~~~」って今度は言ってくれるかも、「それは大変だな~」ってわかってくれるかも。なんて懲りずに淡い「期待」をしちゃうでしょ?
はい、ざんねん。また、撃沈するのです。何度も何度もこの落胆と絶望を味わってきたにもかかわらず。
これもね、残念ながら「共感はしてもらえない」とあきらめることしか、あなたの幸せはないのよ。
期待をするから、それを裏切られて傷つくの。期待が無かったら、傷つかない。なぜなら、なんにも裏切られないから。
変えられるのは自分だけ
わたしもね、夫にお出かけの予定を連絡してもらえることへの一切の期待を手放したときに、初めて自分でこまめにカレンダーをチェックしようと思えるわけ。
まさに、相手を変えるのではなく自分が変われるわけです。
そんなわけだから、私が「夫が週末の予定を知らせてくれなかった~~~」って夫のせいで傷ついたって思ったけど、違うのよ。私は私の期待が原因で勝手に傷ついたのよ。自損事故。自打球。タンスの角に足の小指をぶつけたってこと。もう誰も責められない。ただ悶絶する(笑)
でも、期待をすっかり手放すってそんなかんたんなことではないよ。わたしも未だに何度も期待が戻ってきちゃう。で、悶絶する(笑)
でもね、相手を責めることなく自分の期待が原因だとわかっているだけで、相手との関係を悪化させずに済むわけです。だって悶絶するだけだもん。
これは、夫に限らず子どもにだって、親にだって、友人にだってもちろん会社の上司や部下にだって同じことが当てはまるのです。
期待は自分に向けるのだ!
私はね「期待」は他者ではなく、自分に向けるようにしてるよ。自分の期待に応えてくれるのは、他でもなくこの自分だけだと。
それともうひとつ付け加えるとね、夫への期待を手放すと、夫も楽になるのです。今までよりも夫は自由に生きてる。もちろんさ、わたしがまた期待をしちゃうと、たとえその気持ちをぶつけなくても、なんとなく窮屈そうなのがわかるんだよ。
もしも、期待を手放すのが難しいって感じるなら、それでもあなたはぜんぜん悪くないよ。なかなか難しいことだからね。
期待を手放すための最初のステップとは?
だから、まずは自分の内側にあるその「期待」を少し客観的に眺めることをしてみてね。あーーー。わたし期待してるなーって。
できれば、その「期待」にかわいい名前をつけてみたりして。
ちなみにわたしはね「コンドウさん」って呼んでたよ。「コンドコソハ」だから「コンドウ」ね(笑)
あーーー。コンドウさん登場しちゃったなーーーー。あーーー。登場しちゃってたなーーーーーーー。
これくらいでいいよ。ジャッジしないで、眺めてみてね。悪いことでも良いことでもどちらもない。そんな感じでね。