不安な人と安心してる人…どっちの方が成果を出すのか?
こんにちは!井上ききです。
なぜか、不安な妄想がやめられず、自分の妄想に怯えながら生きていると言う方少なくないですね。
一瞬は安心できるときがあっても、すぐに不安を迎えに行ってしまう思考のクセを持っている方も多いです。
また、不安でいることは危機感を持てるので、いいことのような気がしている方も多いのが現実です。
さて、不安でいる状態と安心している状態、どちらの方が成果を出せるのでしょうか?どちらの方が高いパフォーマンスを維持することができるのでしょうか?
この記事を最後まで読んでいただくと、不安でいることよりも安心して生きることの方が、より自己実現しやすい仕組みをわかっていただけるはずです。
脅しによるコントロール
私たちは子どものころから何かと脅されて育っています。
「ちゃんと野菜も食べないと病気になっちゃうよ」
「ちゃんと貯金しておかないと何かあったときに困るのよ」
「そんなわがまま言ってると嫌われちゃうよ」
昨日、次男の高校の保護者会に行ってきたんです。
先生は熱心に、次男の進学についてアドバイスしてくれました。まだ1年生なんですけどね。
そして、お友達と参加して楽しくなって一時のトキメキで決めないように、保護者が同伴して欲しい。
文系に進むか、理系に進むか、よく見極めて後悔がないようにしてほしい。
などなど、注意事項が多かった。
子どもたちはこうやって親、学校、そして社会によって、不安要素を叩きこまれて、失敗を回避する人生へと誘(いざな)われる。
間違わないように、失敗しないように、後悔しないようにって。
不安はエネルギーになるのか?
しかし、脅す側の気持ちも分らないわけではない。
大人も将来への不安を原動力に努力や我慢を重ねて来たわけだから、その経験を元に、努力や我慢ができる子を育てようとしてしまう。
将来、コジキになっちゃうかも、という脅しは、仕事がなくて食べられなくなる恐怖を植え付ける。
野菜食べないと病気になっちゃうよ、貯金しないと何かあったときに困るよ。
そう教育されれば、コジキにならないように勉強をがんばって、嫌いな野菜を食べて、好きなモノを買わずに我慢をする。
こう考えると、人を脅して努力させるという方法は、まったく見当違いで間違っているというわけではないのかもしれない。
けれど、不安をコレクションした人は、ただただ不安や恐れから逃れるために行動をしてしまうんです。
会社員なら、クビにならないように、減給されないように、嫌われないようにがんばることになります。
起業家なら失望されないように、つながりを断たれないように仕事をする。
問題、トラブル、失敗、後悔を回避するために。
自分の人生や立場を守るため、自分の身内を守るために頑張り続けることになります。
これが多くの人が陥ってる生き方。
これが悪いというわけじゃなくて、教育によってそうなってしまうのです。
安心してる人のエネルギー源は?
もしも、安心して生きている人がいたら、その人たちは努力も我慢もできない人なのだろうか?
安心感で満たされている人は、なんとなくサボりそう?遊んでばかりで努力しなさそう?限界までやらない気がする?
安心している人というのは、恐怖や不安に振り回されていない人です。
自分を守る必要がない人とも言えます。
自分を守る必要がないと、失敗しないためや認められるための努力ではなく、「貢献」へと意識が向かいます。
会社員なら、どうすれば自分がこの会社に貢献できるのか?どうすればもっとこの会社が社会に貢献できるのか?って考えることになるはずです。
起業家なら、どうすれば目の前の人を喜ばすことができるのか、どうすればもっと自分の仕事で社会貢献できるのか・・・これを原動力にすることができるのです。
安心な人はなぜ安心していられるのか?
安心している人は自分を守らなくてもいい、と書いたけど、ここをもう少し深めてみることにします。
私たちって、ダメな自分や弱い自分を否定して生きています。
ダメなヤツだと知られてしまうと嫌われるかもしれないし、見捨てられるかもしれないし、バカにされるかもしれないし、愛してもらえなくなっちゃうかもしれないからです。
だから、そんな自分は存在してはならないのです。
そして私たちは、そんなダメで弱い自分を努力や頑張りや我慢で乗り越えようとしたり、バレないように隠したり、自分を偽って”ええかっこ”したりしています。
この状態が不安に振り回されている状態なのです。
限界を超えて人の期待に応えようとしてしまったり、自分の弱さを隠すために、みずから人と距離を取らざるを得なくなったり、”ええかっこ”ばかりして疲れてしまうなど、とにかく生きにくい。
いっぽう、安心している人は、ダメな自分も弱い自分も、失敗しちゃう恥ずかしい自分も、感情的になっちゃう自分もぜーんぶ自分だと受け入れているんです。
見られてもOK。知られても大丈夫。という安心感なのです。
隠しごとがない、つまり本当に自己開示できるので、信頼されるし好かれるわけです。
自分のネガティブな部分を隠すために取り繕う必要がない上に、他者からの協力も得られるということは、エネルギーロスやタイムロスが少なそうですよね。
つまり、安心している人は本来使うべきところに効率よくエネルギーを使うことができる。
そして、無駄なく自己実現や貢献へと行動できるわけです。
私が高校の先生に伝えたこと
先に書いた、色々と注意事項の多い先生が、かつての不安だらけの自分みたいに見えて、黙っていられなくて伝えたことがあります。
「どんなに注意深く進学先について調べても、入学してみないと分らないことの方が多いと思います。
大学に限らず、何でもそういうものかと。
失敗するかもしれませんが、失敗しても何があっても私たち親は息子の味方ですので」
安心感を持って生きるとは、この前提がある状態です。
その味方とか居場所っていうのを学校に求めているわけではないんだけど、次男も横に座っていて、次男に伝えるつもりで先生に言いました。
そうだと先生もわかってくれた気がします。
不安な人、安心している人 まとめ
不安を煽ったほうが努力をしてくれそう。不安を煽ったほうが頑張れそうというのは、まったくの間違いではないのかもしれない。
しかし、失敗を回避するための努力や頑張りには所詮、限界があるのです。
無理なエネルギーを絞り出さなくちゃいけないため、病気になって強制終了しちゃうケースも少なくありません。
一方で、安心している人は、限界知らずです。
内側から自然と出てくる貢献や自己実現へのエネルギーで仕事をしたり、子育てをしたりします。
それは努力や無理をするのとは違う、頑張りです。
自分の願いや理念を土台にして自然と楽に頑張れちゃう世界です。
その願いや理念は周りの人をも巻き込んで、何倍にも増幅します。
結果的に大きな力になるし、無理がないので長く組織や活動に従事できるわけです。
そんなわけなので、安心して生きることの価値を見直す必要がある、と伝えたいし、
不安を煽って努力を強いる指導や教育方法への限界に世の中が気づくといいなーと思うのです。
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