お気軽にLINE@からメッセージくださいね♪

ワークシートダウンロード

井上ききを作ってきたトラウマ体験と獲得したアイテムとは

WRITER
 
この記事を書いている人 - WRITER -
心理カウンセラー、メンタルコーチの井上ききです。
詳しいプロフィールはこちら

 

こんにちは!井上ききです。

先日、誕生日を迎えまして、28才になりました(嘘)

 

せっかくなので、誕生日にふさわしい記事を、と思いまして、私の今までの人生を作り上げてきた輝かしいトラウマや思い込みについて書いてみようと思います。

 

幼少期のツラい体験って、その人のトラウマになっているだけじゃなく、必ずなんらかの能力になっています。

 

わからないとここに居られない

 

 

小学校1年生のわりと最初のころだった気がするんだけど、なぜなのかは思い出せないけど、その日は担任の先生ではなくて、おじいちゃん先生が教室にいたの。

 

そのおじいちゃん先生に私は指名されたので、質問がよくわからなかったけど、適当に何かを答えたという、ぼんやりとした記憶がうかぶ。

 

何を答えたかは忘れちゃったけど、そのとき、おじいちゃん先生が「そんな変なことを言う子は、学校に来なくていいです」みたいなことを言ったの。

 

先生が何を質問して、私が何を答えたのかはわからないんだけど、この先生の言葉は割と正確に記憶してる。

 

当然、私は恥ずかしかったし悲しかったんだけど、

 

「わからないと、ここに居られなくなっちゃう」という思い込みと同時に、「わかりにくい質問をする先生が悪い!もっとわかりやすく質問するべきだ」という憤りも抱いたのです。

 

この体験がきっかけになり、私はわかりにくいことが大嫌いになります。

 

 

配られた行事の案内がわかりにくい!と憤って、みずから作り直したこともありました(笑)

 

誰かのセミナーに参加して、わかりにくくてイライラして、途中で帰ってきたりもしました。

 

わからないと、いつまでも質問責めにするようなこともありました。

 

サイテーです(汗)

 

ただ、この小学校1年生の事件があったからこそ、私は「ちゃんとわかる」ってことと、「わかりやすく伝える」ということに自分の役割を見出すことができたんじゃないかと思うの。

 

相手が伝えようとしていることを、「ちゃんとわかりたい」という想いは、カウンセリングやコーチングでおおいに活かされているし、

 

わかりにくいココロのことや、人間関係のことを、できるだけわかりやすく伝えようと、講師をしたりブログに書いたりしているのはこの体験があったからこそ。

 

できるだけ専門用語を使わずに、できるだけ具体的な事例を提供しながら伝える。誰一人として置いてきぼりにしないように書く。そんな想いは自然と湧き上がってきます。

 

幼少期の体験による悲しみや憤りは、潜在意識に仕舞われています。

 

だから、もしも私がこの体験をそのままにしていたら、相変わらずわかりにくいことに、怒りを覚える日々を生き続けてたと思う。

 

いくつかの人間関係をぶち壊していたかもしれない。いや、ぜったいにぶち壊してた笑

 

でも、今はこうして問題の本当の原因を突き止めているので、わかりにくい説明を聴いてもあまりイライラしないし、わからない自分を恥ずかしいと思うこともなくなりました。

 

こんな風に、大きな痛みを感じた出来事って、人生を生き抜くためのアイテムになってくれてることが多いんですが、

 

痛みと向き合わずに放っておくと、その人の人生を生きづらくしてしまうのです。

 

比較のない世界、がんばらなくていい世界に逃げたい

 

 

私は二卵性の双子なんですが、おそらく、生まれる前に母のお腹の中にいたころから、姉と比較されて来ました。

 

どっちが大きいとか、どっちが早く歩いたとか。

 

やがて、声が高い方とか、髪がくせ毛の方とか、太っている方という区別の方法を誰かがいい始める。

 

ありとあらゆる点で比較ありきの幼少期でした。

 

これが私にとっては悪口に聞こえたし、欠点や欠陥を指摘されているような気分だったのだろうと思うのです。

 

きょうだいって、双子じゃなくても熾烈な母親争奪戦を無意識におこないます。

 

「どうしたらより母親に愛されるのか?」という争いにおいての戦略が、そのまま性格になったりするほどなのです。

 

そう考えると、必ずしも双子だから誰よりも比較されたとは言えないけれど、私にとってはこの「比較」がモウレツにめんどくさかったのは事実です。

 

こんな幼少期だったので、「勝たなければならない」と思って、母のお手伝いをしたり、苦手な勉強や運動をがんばったり、

 

キャプテンになったり生徒会をしたりするんだけど、両親はまったくホメない人でした。

大人になってからわかったことなのですが、どちらかを特別扱いすることなく、平等に育てなくちゃ!と強く思うがゆえに

 

どちらかが優れていても、あえてホメないようにしていたそうです。

 

これが両親の子育ての方針だったのです。

 

このせいで、「勝たなければいけないが、いずれにしても認められない」という思い込みを握ります。

 

勝ったらホメられるとか、認められるなら、普通にがんばり屋さんになってたんだろうなーと思うけど、この世界は勝っても負けても、認められないしホメられない世界。

 

ただただ、比較されることが煩わしいだけの世界omg

 

こんなふうに絶望していたので、割と早い時期から、比較のない世界、がんばらなくてもいい世界へ逃げてばかりだったのです。

 

ネガティブすぎる痛い私・・・(笑)

 

でもね、その逃げ癖のおかげで、自分にしかできないことをすればいいのだ、という私なりの回避策も実は習得してた。

 

この考えがあったからこそ、「笑み育カウンセリング」や「エミークコーチング」が生まれました。

 

がんばらないヘタレな私が逃げ込んだ世界に、オリジナルプログラムを作るという道が開かれた。

 

もうひとつ言うと、比較されることが煩わしい!という想いに向き合って来たことによって、比較って別に欠点や欠陥を指摘されてるわけじゃないってわかったの。

 

人と人との違いって、むしろ美しい。欠けてることこそ美しい。

 

欠けてるところと、優れているところを誰もが持っていて、その人の美しさを作ってるんだなーって気づくことができたんです。

 

ここに目を向けてコーチングすることで、お客様本人も気づいていないような、その人の魅力に気づくことも多い。

 

だから、笑み育とかエミークという愛が循環するコミュニティが作れたんだと、自画自賛してる。

 

もちろん、素晴らしいメンバーに支えられてるんだけどね。

 

さっきも書いたけど、こうやって、幼少期に味わった苦しみは、人生を生き抜くためのアイテムになっていたり、生きる理由にさえなる。

 

そして、向き合わなければ、きっと私は比較から逃げてばかりで生きづらい人生を今も生きていたかもしれない。

 

井上ききを作ってきたトラウマ体験 まとめ

 

 

ひとつが長すぎて、2本しか書けなかったけど、最初は5本書こうと思ってた笑

 

残りはまたどこかで書こうかなって思っています。

 

幼少期の私たちに用意された家庭という世界、学校という世界は、それがどんな厄介な場所であっても適応して生きて来なくちゃならなかったはず。

 

そのなかで、生き抜くために身に付けた戦略は、子どものころは使えたけど、いつか使い物にならなくなります。

 

例えば、「頑張って期待に応える戦略」はいつか年齢と共に限界が来ますよね。

 

「勧善懲悪 戦略」みたいな方も、そのうちに何が善で何が悪かわからなくなって、とまどうときが来るでしょう。

 

「自己犠牲戦略」や「イエスマン戦略」「とりあえずゴメンなさい戦略」などなど・・・

 

もうこの戦略では戦えない、と思ったら思い切ってやめてしまっていいのです。

 

それでも、今まで戦ってきた中で身に付けてきた、いろんな特技や人脈、経験が、私たちの手には残っています。

 

それだけじゃなく、古い戦略を手放すと、本当の願いが見つかるんですよ。

 

メルマガ登録はこちらから(無料)
  ↓  ↓

 

この記事を書いている人 - WRITER -
心理カウンセラー、メンタルコーチの井上ききです。
詳しいプロフィールはこちら

Copyright© 井上きき , 2022 All Rights Reserved.