「居場所がない!」は思い込み!?良い居場所の3つの定義とは?
こんにちは!井上ききです。
安心できる居場所をあなたはいくつ持ってる?
今日は「居場所」について書いてみる。私のこれからの人生はこの「居場所」がキーワードになりそうです。
最初の居場所とは?
私たちが生まれて最初の居場所はお家なのね。まずその場所を居場所と感じられずに生きて来た人もたくさんいる。
次に子どもは学校でお友達ができたり、なにか係になったり、得意なことを認められたりとかして役割を感じて、そこを居場所だと感じる。
そう感じられない何かが起こったときに、不登校とかになるよね。だから、保健室とか相談室という居場所を作ることで行ける子もいる。
人は居場所があるから勇気をもって外の世界や他者と関われるのよね。
反対に居場所がないと、マイナスのことが起こるのがめっちゃ怖いよね。よりどころがないし、味方がいないから。何かチャレンジしたくても勇気が出ない。
居場所を感じられなかった幼少期
わたしは、子どもの頃に両親のケンカが始まるとリビングをいつも追い出されて自分の部屋に行って怯えてた。
部屋に居ても安心できるわけでもなく、少なくとも家は居場所じゃなくて、いつも「ここに居てはいけない」って思ってたの。
おばあちゃんの家に行っても、そこで母が悪く言われたりしてやっぱり「ここは怖いところだ、ここに居ちゃいけない」って思ってた。
「ここに居てはいけない」けれど、事実どこにも行くところはなく結局、居場所がないと感じてる子どもだったの。そうするとね、大きくなっても無意識には「居場所のないわたし」というのが捉え方の習慣、つまりトラウマになっているわけです。
そうすると、「ここに居てはいけない人生」を無意識に送っているのです。
だから、わたしは引っ越しの多い人生を送って来た気がする。いま住んでる場所が一番長く住んでると思う。いつもせいぜい6年くらいしか同じ場所にいなかった。
何かのコミュニティに所属しても、そこで長くいられたことはなく、誰かと上手くいかなくなったタイミングで自分からめんどくさくなってそこを離れてしまう。
初めて行ったカフェとかでもね、そこの店主が機嫌悪そうに座っていると「早めに帰らなくちゃ」って思ったり、混んでくるとそそくさと会計をしたり。
居場所がないなら一人で居ればいいと思われるかもしれないけど、ひとりでいても居場所はなかったって感じ。
「居場所がない」は思い込み
これ、ここまで読んでもらうとわかると思うけど、「居場所がない」はあくまで思い込みです。人生でたったの一度でも、わたしは居場所を奪われたこともないし、居場所を追われたこともないんだよね。
「ここは居場所じゃない」と決めたり「ここに居てはいけない」と捉えたのはわたしなのだ。
だから「居場所がない」は笑み育カウンセリングによってすっかり手放せた思い込みのひとつ。
思い込みさえ手放せると、現実はすっかり変化する。今では居場所だと感じられるコミュニティも複数持っているし、居心地のいいカフェも沢山じゃないけどある。
良い居場所の3つの定義
居心地のいい居場所ってね、こんな定義があるの。
1.安心安全である(責められない、攻撃されない)
2.役割がある(自分の強みを生かせる)
3.話を聴いてもらえる(自分のことを知ってもらえる、わかってもらえる)
このうちの2つ以上満たされると、そこは居心地のいい居場所だって言える。3つ満たされたらもう離れられないよね。
みんなにとっての安心な居場所になる
ずっと居場所がなかった私だからこそ、これからの人生は自分自身がみずからみんなの居場所でありたいし、みんなにとって安心な居場所を作ることを自分の使命として生きていきたい。
最近は、「会社を社員さんの居場所にしたい」という想いで、企業研修のコンサルタントとしての活動もしてる。
そしてもちろんだけれど、夫や子どもたちとって、この家をいつも安心で楽しい居場所にしておきたい。
だから、イヤミを言わないことと私自身が無理をしないことを誓っている。